日本道観は昭和55年(西暦1980年)12月1日、福島県いわき市に設立し、この地で「導引術」をはじめ「気」の健康術の指導をはじめました。政財界や芸能界にもファンが多く、健康面、精神面での陰の支柱として多大な信頼を得ています。
日本道観を設立した早島天來初代道長(筆名 早島正雄)は、明治43年3月3日、現在の高知城造営の祖・大高坂家の嫡流としてこの世に生を受けました。天來は生後間もなく、子宝に授からなかった早島家の養子となり、早島正雄としての人生を歩み始めます。
養父は彫刻をし、仏具を作ったりするかたわら、自宅で近所の人達に頼まれるまま、独特な方法で病気治しをしていました。その治療法というのは主に「気」の療法だったといいます。また、養父は柔術の達人でもありました。このような環境で育ち、また、大高坂家の嫡流として生まれた天來初代道長は、幼いころから武術に秀で、気の輝きに溢れた頭の良い子供だったといいます。
養父母が亡くなったとき、天來初代道長は、「気」の療法で近所の人々を救っていた養父の志と精神を受け継ごうと決意しました。日中戦争が始まり中国中部の戦線にまわされると、天來初代道長はその地の孔子廟や道教の寺院に引き寄せられ、毎日のように通いながら道教の道士から導引を学びました。
終戦後、日本に帰還した天來初代道長は道家思想を抱いた武道家としての道を歩みはじめました。合気術は松田敏美氏から、空手は名人である船越義珍氏のもとで鍛錬を重ね、独自に導引術と仙術医学を徹底的に研究しました。
そして昭和35年鎌倉に松武館を開設、中国5千年の健康法「服気導引」を現代人向けにアレンジして独自の導引術・動功術・服気法を完成し普及活動を開始します。これが20年後「日本道観」へと発展し現在に至ります。