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早島天來日本道観初代道長について

早島天來(筆名/早島正雄)日本道観初代道長について

早島 天來(はやしま てんらい)
早島天來 (早島 正雄)[-1999年]はやしま てんらい

高知県生まれ。
日本で導引術を伝えてきた村上源氏の末裔で、昭和44年に、台湾で導引を受け継ぐ、道家龍門派伝的第十三代を允可される。同時に道教の最高機関・六十四代の嗣漢天師府顧問に就任、のち、嗣漢天師府首席顧問をつとめた。併せて台南市道教會首席顧問となる。昭和55年、道家の教えを広める場として日本道観を設立、平成5年には道家道学院を設立し、導引術の普及につとめた。

早島天來 日本道観初代道長は、明治44年3月3日、現在の高知城造営の祖・大高坂家の嫡流としてこの世に生を受けました。村上源氏の村上水軍と縁の深い大高坂家は、村上源氏より合気術と導引を受け継いでいたともいわれています。

天來は生後間もなく、子宝に授からなかった早島家の養子となり、早島正雄としての人生を歩み始めます。養父は彫刻をし、仏具を作ったりするかたわら、自宅で近所の人達に頼まれるまま、独特な方法で病気治しをしていました。その治療法というのは主に「気」の療法だったといいます。また、養父は柔術の達人でもありました。このような環境で育ち、また、大高坂家の嫡流として生まれた天來は、幼いころから武術に秀で、気の輝きに溢れた頭の良い子供だったといいます。

養父母が亡くなったとき、天來は、「気」の療法で近所の人々を救っていた養父の志と精神を受け継ごうと決意しました。日中戦争が始まり中国中部の戦線にまわされると、天來はその地の孔子廟や道教の寺院に引き寄せられ、毎日のように通いながら道教の道士から導引を学びました。そこで合気や導引を修行している仙女たちの若さにびっくりし、改めて導引の不思議さを感じたといいます。

日本に帰還した早島天來は、道家思想を抱いた武道家として大きく歩み始めました。合気術は松田敏美氏から、空手は名人である船越義珍氏のもとで鍛錬を重ねました。 天來の合気術は腹気法(呼吸法)と一体のもので、「気」の流れがとても良くなり心身が元気になったといいます。天來はまた、独自に導引術と仙術医学を徹底的に研究しました。

高知城

大高坂家の人々が相次いで亡くなると、ただひとり残った大高坂家の嫡流である天來大先生は、昭和35年鎌倉に松武館を開設、中国5千年の健康法「腹気導引」を現代人向けにアレンジして独自の導引術・動功術・腹気法を完成し普及活動を開始しました。

天賦の才と不屈の努力で磨き上げた技で、心や体の病に苦しむ多くの人々を救った早島天來初代道長は、昭和44年台湾にて、道家龍門派伝的第十三代を允可されました。正統な流派を伝承したのは中国の人以外で早島天來が初めてです。また同時に、道教の最高機関・嗣漢天師府顧問に就任し、そして後には、嗣漢天師府首席顧問、併せて台南市道教會首席顧問となりました。

本部

昭和55年には、新たに福島県いわき市に日本道観を設立、「導引術」をはじめ「気」の健康術の指導を行いました。平成5年には誰もがタオイズムを学び研鑽できる学校として道家<道>学院設立、政財界や芸能界にもファンが多く、健康面、精神面での陰の支柱として多大な信頼を得たといいます。また、「気の健康術」、「気の大波動」、「気の大活力」など、“気”に関する著書も多く、作家としても著名になりました。

現在、日本道観では、「導引術」をはじめ、「動功術」、「洗心術」という「気」の健康術を指導し、人々の心と体の健康をサポートしています。

平成11年6月、早島天來は登仙し仙境に入りました。早島天來初代道長は、人の道、天の道を求めて修行に人生をかけ、その生涯はまさにタオイズムの旅そのものでした。

現在は、道家龍門派第十四代を継いだ早島妙瑞第二代道長に続き、道家龍門派第十五代を継いだ早島妙聴道長が全国を指導にまわっています。

▲ 青空のもと荘厳にそびえる。 ▲旧日本道観総本部裏門にあった、台湾の道家修行者・宋今人氏による「不老不死之門」を、大門用として彫り直した。

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日本道観「道家道学院事務局」
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