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古来、東洋の賢者は、動物の生態を見抜き、そのまねをすることが健康への道と考えた。というのも、野生動物は病気はせず、病気で死ぬこともほとんどない。それならば人間も野生動物と同じように生きれば、病気で苦しんだり、病気で死ぬことはないのではないかというのである。
そのためにはどうしたらいいか。たどりつく考えは、自然に生きる、ということであった。動物のように、自然の法則に逆らうことなく生きることこそ、人間にとっても最もすぐれた生き方なのだという発想が生まれてきたのだ。
野生動物の生態は、その行為のどれ一つとっても、無理のない自然そのものと言える。息のしかた、獲物を狙うときの姿、子の育て方、寝相にいたるまで、すべてにわたって宇宙に満ちている「気」をムダなく取り入れた動きをしている。だからこそ、人間のように病気に苦しめられることはない。やすらかに天寿を全うしていくことができるのだ。
「気」は動物の動きをじっくり観察したうえで、人間の体験を通じて発見された。そのため、中国古来の健康法「導引術」は、「気」の思想にもとづいた健康法である。また、この本で述べるように、人生を成功に導く生き方でもあるのだ。
「気」の思想は健康法ばかりでなく、天文、易学、医学など、中国の科学の多くの分野にわたって、その基礎的理論に大きな影響を与えた。したがって、「気」がわかるということは、とりもなおさず宇宙がわかるということであり、自然がわかることであり、自分が、人間がわかることである。
そのため、「気」についての著作は、古来、多くの人がなしてきた。しかし残念なことにこれまでの書物の多くが、あまりにも専門的すぎたり、わかりにくかったりなどの理由から、一般に広まることなく、一部の好事家や研究者たちにしか知られることはなかった。しかし、これでは困る。「気」は実生活で役立ってこそ意義があるのだ。「気」はもともと実践されてこそ価値があるものなのだ。
その例として孫子を挙げよう。彼はその兵法書に、
「朝気は鋭く、昼気は惰、暮気は帰。ゆえに善く兵を用いるものは、その鋭気を避けて、その惰帰を撃つ。これ気を治むるものなり」
と説いている。つまり、朝は兵隊の気力は鋭くなっており、昼の気はだらけ、日暮れになると兵舎に帰ることばかり考えている。だから用兵家というのは、朝の気を避けて、昼どきや夕方の帰り道を狙い、攻撃する。これこそ「気」を体得した者だということだ。孫子もやはり「気」を知りつくして兵法に用いていたのである。
私たちの日常においては、「気」が高揚しているときには、たいていの場合、ビジネスもスムーズに運ぶことができる。その結果、「ついていた」「調子がいい」ということになる。
これは「気」が「運」と連動していることを示している。つまり、「気」の流れがスムーズで、全身に充実しているようなときは、やることが先の先まで見通せるようになる。そのため自信をもって行動でき、結果としていい成果をおさめることができるというわけだ。
これはビジネスでは大きな力となる。「気」も「運」もどちらも自分で作り、呼び込むものだが、自分で予期していた以上の成果をもたらすことがよくある。このようなケースでは、自分で作り出した「気」が、「運」をいっしょに連れてくるからである。
たとえば、名を残すような投資家や事業家には、こうして次々と強運を引き寄せている人が多い。逆に、ついていない人が自分でも強運を手にしたいと思えば、「気」の充実した、ついている人の運に乗るように、「気」の流れをとらえ、気力のあふれた人を仲間に呼び込むのも、強運を呼ぶ方法と言えよう。
つまり、「運」を強くするには「気」を知り、「気」を充実させることがなによりも先決なのだ。私たちの体内には、鍼灸の経絡と同じように「気」の通る道すじがある。しかし、「気」の流れにつまりがあったり、よどみがあったりして、スムーズに流れていないのでは、「気」を充実させることができない。そこで、「気」の流れを正常にする。言わば、汚れた「気」を体外に排泄し、新鮮な「気」を体内に取り入れる方法が導引術というわけである。
繰り返すが、「気」を知るということは、自分自身の状態を知ることであり、自分がわかれば他人もわかるようになる。
他人がわかるということは、世間がわかることにほかならない。世間がわかるようになると、金の流れ、物の流れが自然とわかってくるのである。
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運命は自分で変えられる!――中国五千年のなかで受け継がれる生き方や、タオイズム・老荘哲学の大らかで前向きな思考法、究極の健康術として評価の高い導引術・洗心術・動功術を、新たな時代にあわせて、わかりやすく解説。心身のストレスをなくして、「真の自分」を発見できる一冊。現代人が生きていくうえで抱えてしまう様々な悩みが、やさしく解きほぐされていく
今年(二〇一九年)の四月一日、みんなが待ち望んだ新元号が発表されました。新たな時代を象徴するその元号は「令和(れいわ)」。 じつは私は、元号の発表のときは、たいへんお世話になり、いろいろご指導をうけている気功研究の大家であり、古典に詳しい林中鵬(りんちゅうほう)先生と、北京(ペキン)で打ち合わせをしておりました。そして漢字二文字であれば、発表と同時にその蘊蓄(うんちく)をうかがいたい、と博学の林先生にお願いをしていたのです。
そうして発表された元号「令和」は、日本の古典『万葉集』が出典でした。とてもきれいな響きであり、また自然を愛(め)で、花を楽しみ、みんなと調和してゆくというような意味を感じるすてきな元号です。私は、まるで一陣の風がさーっと吹き降りたような、爽(さわ)やかな感じがしました。
ところがそのとき、林先生は「よかったですね。この言葉は『導引(どういん)』を解説した言葉なのですよ」とおっしゃったのです。この新たな時代を象徴する元号が、早島天來宗師大先生より学び、早島妙瑞先生が受け継がれて、今現在、道家〈道〉学院で指導させていただいている、TAO(タオ)の気のトレーニング「導引術」にかかわる言葉であることを知り、驚くとともに、「まさに時(とき)、来たり!」と非常に感動いたしました(詳しくは、63ページからの「TAOコラム」参照)。
高齢化社会、地球環境の悪化、種(しゅ)の絶滅など、私たち人類が抱(かか)える多くの問題の答えが、古代中国に生まれ、脈々と伝えられてきた「道」TAOにあることを思うと、この元号がさらに輝いて見えました。
現代は、驚くべきスピードで科学技術の研究が進み、ITやAIによって、人間がいなくても多くのことができる時代になっています。
みんなが創意工夫して、人間の社会生活にとって便利なものをつくりだし、インターネットの発達により、世界の状況を居ながらにして知ることができ、そして溢(あふ)れるほどの情報を無料で手に入れることができる、そうした時代になりました。
SNSやメールで簡単に世界の人とつながり、いつでも、その思いを伝えたり、発信したりすることもできるようになりました。大雨が降っても、決壊しない高い堤防をつくり、地震に強いビルを建てることもできるようになりました。地球環境の限界を感じて、火星やほかの惑星に人類未来の生き場所を探すまでになっています。
私たち人間は、人間の幸せのために、その持てる能力を駆使して、文明社会をより快適に発展的にしようと、努力を重ねてきたのです。
これらのすべての経済活動、そして科学技術の発展も、その目的は人間の幸せのために行われてきたはずなのですが、
「私たち人間は、ほんとうに幸せになってきているのだろうか?」
「今日も幸せだわ、と感じながら生きている人がどれほど増えたのだろうか?」
と考えると、首をかしげざるをえません。
そんな時代に、「じつは幸せに生きる方法は、すぐそばにあるのですよ」ということを、道家〈道〉学院二代目学長であり、道家龍門派第十四代の道長である早島妙瑞先生が明らかにし、人が生きること、そして生かされるために、私たちは日常どのように過ごしたらいいか、どのような物の考え方をしたらよいかを、やさしく、わかりやすく、ていねいにひもといてくださっている本が、『タオのひけつ』なのです。
今回、私が一部加筆、監修する形で、新たに『新・タオのひけつ』として、刊行することになりました。
早島妙瑞先生は、40年を超える長い年月、タオイズムの大家である早島天來宗師大先生(筆名・早島正雄)について厳しい修業を重ねられました。そして、ご自身が道家〈道〉学院の学長になられたあとも、つねに無為自然(むいしぜん)に、謙虚にやさしく、ときに厳しく、多くの人たちの悩み苦しみを聞き、その原因である我執(がしゅう)に自然に気づくように話されて、みんなの目の曇(くも)りを払い、これからの人生を明るく楽しく豊かに生きられるように導いてこられました。
そして、いつもその笑顔は最高でした。
初めて会った人でも その笑顔と無為自然な謙虚なお姿に、自然に心の鎧(よろい)を脱いで、笑顔になったものです。
今思い出しても、妙瑞先生のお顔は、いつも笑顔であり、そして温かく私たちを見守ってくださっていました。
ここで、妙瑞先生がご登仙(とうせん)された年のお正月、新年が明けたそのときに集まった弟子たちにいただいたお言葉をご紹介しましょう。
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晴れたら楽しい
雨がふっても楽しい
嵐が来ても楽しい
と生きてゆくのです
みなさんが天地自然の道に沿(そ)って
前向きに日々、自分を磨いてゆけば
何があっても、必ず幸せな方向へゆくのです!
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まさに天の真理を語られた、わかりやすい、そして深いお言葉だと思います。
晴れたら、気持ちがよくて楽しいものです。
雨でも、水がなければ、すべての生命が生きられないのですから、「よいおしめりですね~楽しい、楽しい」と生きるとよいのです。
そして嵐が来たら、精いっぱい身を守り、そして「このくらいの被害ですんでよかったですね。楽しい、楽しい」と生きてゆくのです。
そう、おっしゃったのです。
この「嵐が来ても楽しい」というお言葉には さすがに私も驚きました。
人間は、この地球に生かされている一つの生命にすぎず、野生動物とも、自然の木々とも同じなのだ、と考えると、なるほど、人間だけの都合で嵐を止めることもできませんし、またどんな目にあっても、そこからまた前を向いて生き抜いてゆくことが、命をこの世に残された私たちの生きる道なのだと、ほんとうにその深い意味に感動いたしました。何があっても、楽しい、楽しいと、朗(ほが)らかに生き抜いてゆく、素直な生き方こそTAOのひけつなのです。
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