仙人列伝は、中国の書物「雲笈七籖」の中にある仙人の伝記が分かりやすくまとめられており、道家の修行において究極の理想とする仙人とは何であるかがやさしく理解できる書である。
この『仙人列伝』は、中国の書物の翻訳である。ただし、そういう題の書物があるわけではない。宋の時代の張君房(ちようくんぼう)という人の編纂(へんさん)した『雲笈七籤(うんきゆうしちせん)』という書物の末尾の仙人の伝記などを集めた部分を抜き出して訳したものである。
『雲笈七籤』は、道教好きの皇帝真宗(しんそう)の命令にもとづいて、張君房が宮廷所蔵の道教関係の書物を四千五百六十五巻に整理したとき、さらにその中の重要なところを抜き書きして百二十二巻にまとめたもので、「道教とは何か」を知るのに便利な書物である。
ところで、ここに『仙人列伝』として訳出した部分は巻一〇八から巻一一六までで、「列仙伝」「神仙伝」「洞仙伝」「続仙伝」「墉城集仙録(ようじようしゆうせんろく)」「神仙感遇伝」の六篇から成っている。
「列仙伝」は、前漢の劉向(りゆうきよう)の撰と言われるが、原本は早く失われ、現在伝わっているものは、後世の人がいろいろな書物から断片を集めたもので、本来のものとは体裁・内容とも大きく異なると考えてよい。
なお、『雲笈七籤』に収められたものは、通行の『列仙伝』に比べて、仙人の数が約二十人少ない。黄帝や老子を省いたのは、道家として仙人の列に入れるのはふさわしくないと判断したのかもしれない。また、もとにした本の系統が異なるのかもしれないが、収められた仙人の順序は通行本と一致している。
「神仙伝」は、『抱朴子』の著者として名高い、晋(しん)の葛洪(かつこう)の撰である。しかし、『雲笈七籤』に収めるものは、原書九十四伝のうちわずか二十一伝にすぎず、配列の順序もかなり前後している。また、葛洪の原序も省かれている。ただ、個々の伝の文章はほぼ一致している。これも、張君房に考えがあってのことか、不完全な異本をもとにしたのか、はっきりとは分からない。
「洞仙伝」は、見素子(けんそし)の撰と言われるが、この見素子がいかなる人物かは不明である。今日、この書は伝わらず、『雲笈七籤』に収めるものによってしか知ることができない。
「続仙伝」は、南唐(五代)の沈汾(しんふん)の撰で、原序も収められている。本篇も三十六伝中二十五伝を収めるのみであるが、これは張君房が編書の際に取捨を加えたものと考えられる。
「墉城集仙録」「神仙感遇伝」の二篇は、ともに唐の杜光庭(とこうてい)の撰で、時代的には「続仙伝」よりも早い。『雲笈七籤』でも「神仙感遇伝」だけは「続仙伝」の前に置いているが、本書では最後に置いた。その理由は、「神仙感遇伝」は“神仙に遭遇した人”のエピソードを集めたもので、仙人の名すら明らかでないことが多く、“仙人の伝”とは言えないので、巻末に置くのが適当と考えたのである。
なお、「墉城集仙録」の「墉城」とは、杜光庭の原序によれば、女仙の住む宮殿であり、したがって本篇には女の仙人の伝が集められている。
翻訳にあたっては、何よりも分かりやすさを心がけ、そのため、時には厳密さを犠牲にしたことも少なくない。元来、原文に伝写の誤りも多く、抄略の不適切なため文意が十分伝わらない個所もある。そのようなとき、異本や他言を参考にして字を改めたり、補ったりし、さらに日本人読者の理解の便宜を考慮して、思い切って意訳した。本書は専門研究の書ではないので、そのような場合、いちいち断わってはいないことをご諒解いただきたい。
最後に、本書によって、かつて大多数の中国人がひそかに憧れ、道家の修行の究極の理想とされた仙人とはどのようなものかを、いくらかでも感じ取っていただければ幸いである。
道家龍門派伝的第十三代
日本道観道長 早島正雄
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