ただ静かに坐るだけで人間本来の姿がえられる

 導引術における瞑想の方法は、道家では「静坐法」と呼んでいる。一般に瞑想というと、音楽を聴きながら意識を第三の眼に集中するとか、頭へもってくるとか、そして、背筋を伸ばす、無になれなど、やたらにむずかしいことを並べて教えているようである。

 しかし、道家の静坐法は、ただ静かに坐ればいい。もともと脊髄は軽く湾曲しているのだから、体を楽にして無理をしないで坐る。そうすれば、わたしたち人間の「もとの姿」にかえるのである。たとえば、雑念が浮かんだとする。そうしたら、いまは静坐をしているのだから、追い求めつづけない。すると、だんだん本来の姿である“無”に戻ることができてくる。

 これからが、気の瞑想実践術になるのである。本来の姿、つまり“静”になり、“無”になってこそ、はじめて実践が生かされてくる。

 それは自然の流れに逆らわない生き方、老子のいう無為自然となって、これから説明する「精」「気」「神」がそなわってくる。そうすれば精神的に悩まなくなり、肉体的にも病むことなく、死ぬまで元気に働けることが、この瞑想実践術によって体得できるのである。